鶴嶺八幡宮千年へ~茅ヶ崎人ルーツ

1.『鎌倉殿』のおとなりで。

ドラマが始まって…テレビのない わがやでは残念な気持ち。

鎌倉の文化財課の知人に裏話を聞いて、なるほどでおしまいでした。

面白いもので、しばらくして茅ヶ崎市の鶴嶺八幡宮さまより、お声がけいただき、

境内のお掃除をお手伝いさせていただくことになりました。


昔々、鶴嶺八幡宮は「本社」、かの有名な鶴岡八幡宮は「若宮」と呼ばれていました。

いずれも、源頼朝にゆかりがある神社です。

本社である鶴嶺八幡宮の歴史も古く、数年後に1000年を迎えるそうです。


古地図は江戸期のものですが、現在浜之郷と呼ばれる区域一帯が、

鶴嶺八幡宮の境内であったことが示されています。


久しぶりに鶴嶺八幡宮へ伺って、懐かしい気持ち。

鎮守の杜を残したい…という、ボランティアの皆さんも素晴らしいと思いました。



2.茅ヶ崎はミステリーロマンの考古

ちがさきは「ミステリーロマンの考古」です。

水が豊かで、人も豊か。早い時期から文化が芽生え、途絶えることなく血脈が続きます。

縄文期からみて、とてもレベルの高い土器が出ています。

モノはあるけど、文字(資料)がない…そこにミステリーロマンがあるのですよねぇ。
さまざまな想像をかきたてます。


大和中央集権国家から、各処へ国分寺ができたとき…

現代でいえば、それは県庁のようなものかしら…茅ヶ崎は

中央(大和)から人が派遣されるのではなく、地元豪族がその任に着いたそうです。

地域がまとまっていたので、通達さえすれば機能する状態だった、といえるのでしょうね。

だから「茅ヶ崎人」として、その文化と血脈は現代に受け継がれることとなったのでしょう。


 ▽茅ヶ崎市内弥生時代の土器、出土元を忘れてしまいました(茅ヶ崎市文化資料館提供)


3.宇田川が深掘りしたい「灯篭流し」

1.ススのついたかわらけは。

さて、茅ヶ崎市で時々見られる、このかわらけ…宇田川が最も深掘りしたいアイテムです。

なんだ、ただのかわらけじゃん、と思うかもしれませんが…

よく見てください、ススがついていますよね。

ススがついているかわらけがまとまって出土したら「万燈会」の供養であることが少なくありません。「万燈会」の説明は、私よりWEBコトバンクの方が上手ですね、引用すると。


万燈供養の法会のことで,献花と同じように,多数の灯火を仏前に供養して,懺悔や滅罪祈願を行う。白雉2 (651) 年に朝廷内で催された記録があり,また東大寺の年中行事として 10月 15日に行われる。


当初の万燈会は、かわらけに油を入れて寄進する方に配りました。

裏返すと、何らかの記号があるのですが、要は 10円ならコレ、20円ならコレ…だとか

〇〇地区だとか…松竹梅や区分があったのですね。


火をともして、祈って…そうして、終わった後、寺社ではたいがいが

穴を掘り、がちんとかわらけを割って埋めるのです。

だから、万燈会に使われているかわらけは殆どが粉々に割れています。


2.割らないカワラケ

画像のように、ほとんど割れずに出てくるのは何故か…


それは、水に浮かべて流したからです。灯篭流しです。

茅ヶ崎市内の完形のススかわらけは、井戸などの「水の道」から出土しています。

灯篭流しの習慣としては、全国的にかなり早い時期だろうと、私は考えています。


茅ヶ崎市内を小舟で荷を運んだ…という記録もあるのですが、

現在の川が、当時はもっともっと豊かであったろうと推測されるのです。

川や海へ、祈りを捧げた、むかしの茅ヶ崎人。

そのロマンを一緒に味わってみませんか?


▽茅ヶ崎市美術館の入口にあるマップでは地形図の変容が見えます。

5階のうだがわです。

茅ヶ崎駅前で今日もホンキで、防災、英語絵本、地域活動しています。