文月 夏の夕立ハンコウキ

1====

 うちの娘はハンコウキだ。

何かにつけ、「やだ」「なんで」「だって」。


育児書には、子供の成長を喜びましょう、と書いてある。

ハンコウキではなく、成長期と呼びましょう…


そうか、これも勉強だ、子供と一緒に成長して忍耐を学ぶのだ、

なーんて感動するのも一ヶ月くらいかな。

向こうが言うのと同じくらい、気がつけば

「だって、こっちも人間だし」「何で私ばっか」「だってムカツク」。


そうして、親の言うことを聞かぬとあらば、こわい代表を持ち出してみる。

我が家は「雷さん」だ。

「ほおら、ちゃんとごはんを食べなさい。雷さんが来るわよ」

「あらあ、爪を切らないと雷さんが来るわよ」


2====

娘のお稽古に行った帰り道、夕立に降られた。

先刻まで青空が広がっていたのに、見る見る空の端から端まで黒雲ばかり。

鼻を鳴らすと雨粒より一足先に『夏の雨』が降ってくる。

湿ったアスファルト、海からの磯臭い香り、何かが妬けるような匂い。


「夏の雨 きらりきらりと降りはじむ 日野 草城」


この日はシャレにならないくらいのどしゃぶりになり、

雲のあちこちが光り始めた。

雷だ。

光と音との感覚が短くなり、ついには間近でドカンと大炸裂をした音がした。

あまりの大きさに、大人の私ですら鼓動がはやくなり、耳鳴りがする。

娘は、たちまち泣き出した。


「なんで?なんでなの?いい子にしてたでしょうっ」


どしゃぶりだから家まで送るよ、車に乗せてくれたママに向かって、

男の子が

「オレ、ママすきだけど、雷はダメなんだ」

ふわあ、それを聞いて娘は一層涙を流し、帰宅しても泣き止まなかった。


3====


 お稽古の先生に言わせると、子供の頃絵本の世界で「こわいもの」に、
きちんと触れた子は非行が少ないらしい。
冒険や狩猟をする行動は人間本来の本能ということだろうか。
その本能が絵本によって満たされ、更なる冒険を空想の中でしている、
ということであった。先生は、雷を怖がる娘に、声をかけてくださった。

「きっと、そういうお話を読んだのね。大丈夫よ」


それを聞いて、私は赤面した。
「オハナシ」ではなく、「オドシ」であった。

4====

 悩んだ末、現在我が家では「ハンコウキ音頭」というのをやっている。
娘が反抗的な時、手拍子よろしく踊りまくる。

「ハンコウキ、ソレ ハンコウキ♪ ハンコウキ、ソレ ハンコウキ♪

 やだ やだ なぜなぜ ハンコウキ

 わたしは 三さい ハンコウキ」

外出先であろうと、どこであろうとかまわず踊る。
いつの間にか、姑まで一緒に歌うようになった。
これには娘も参ったらしい。
出先であれば恥ずかしがって謝るし、自宅であれば笑いながら一緒に踊る。

 

それでも、時折「雷さん」は登場する。
それは、娘曰く「しまったな、の瞬間」。

「ママ、雷さん、来る?」

辺りをうかがいながら、小声で聞く。

「すぐ来るよ。だって、そこで見てるもの」

娘は、あたふたと小鳥のように右往左往、怖がったり、隠れたりしている。
その様子が面白い。

そんなに怖いくせに、図書館に行くと必ず雷さんの本を選ぶ。
そうして、直のこと怖がったりするのだ。

 古今東西、誰の親をも悩ませてきているハンコウキも、
ずっと続くわけではない。そう、夕立みたいなものだ。
どうか、早く過ぎ去ってくれますように…

「夕立や 草葉を掴む むら雀 与謝蕪村」

5階のうだがわです。

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