わたしの手帳史

よく手帳について質問されます。

ぱんぱんになったノート、高校生から85冊書いてます、というのが印象的みたいです。


 続かないのよね、新しいノートを買って、気持ちアゲアゲだけど。

 本を読んだんだけど、書き方が分からないの。


そんなセリフが多いのですが、分かるなぁ。わたしも通った道です。

HPを立ち上げる時、友人が「ぜひノートについて書いて」と言ってくれたので、

カテゴリを設けました。


My Noteのきっかけは、家出

そもそも、私が始めたノートのきっかけは、高校時代の「家出」

家にいたくなくて、家出ばかりしてたので、その行先を記録したのが始まりのようです。

中を見ると、アドレスも、スケジュールも、日々のメモも ごちゃごちゃ。


原宿の大中で「わあ、かわいい!」買ったことを記憶していますが、

まさか、こんなことのために使うとは。

いまだにおつきあいいただいている方も少なくないわけですが、

本当に感謝にたえません(30年以上ですね、ありがとうございます)。


会社員になってからは、ToDo、タスクの整理が中心

会社員時代は、野口さんの「超」整理手帳を長く愛用。

とくに、製薬会社で秘書室長をしていた時代は、

自分と会長、他の秘書の方々との時間管理をしなければいけなかったので、

To Doやタスク整理は必須となり、かなり便利でした。

 結婚後、派遣先から契約社員となったゼネコン系の会社でも、

プロジェクト管理をする上では重宝していました。





出産後の「育児手帳」は「観察+思い出」

出産の時に、ミルク会社やケースワーカーさんから「育児手帳」を院内でいただくと思うんですね。何しろ、3時間おきに授乳して時間間隔がない上に、子ども中心で自分は二の次になりますから、必然的に「観察日記」と化してきます。その上、親ばかなので「思い出てんこもり」で、わが子のあれも、これも、書くようになりました。



子どもと自分…共に育てるための「情報手帳+α」 

長男出産時(第2子)からは、まあ、誰かに頭を下げない日はありません。人間、手は2本しかないですから、誰かの手を借りずには生きていけなくなるのですね。


長男の授乳、入院中の妹の介護、娘の幼稚園の送り迎え、お弁当、家事…と並行です。

育児手帳よりも、スケジュール管理に重点が行くので、ToDoを付箋に書いては、終わった準から捨てる…、1人になる時間ができたら、とにかく「1日をまわす」ための作戦を考える…という状態、息子の「育児手帳(=思い出)」はスカスカになります。


その頃「情報は1冊のノートにまとめなさい」という本が出版されて、

まさに「コレだ!」と思いました。さっそくツバメノートを買いに走りました。



スケジュール管理の「超整理手帳」を併用しながら、情報手帳をスタート、20~30冊書きましたし、おかげで高校時代からのノートの整理がつきました。それまでは「ただ捨てられなかった」んですね…情報手帳を読んでからば「捨てられない」のではなく「唯一無二の情報」として、最初の「家出手帳」に No.1をつけました。

家出娘を支えてくれた方々やわが子の足跡…かわりのきかない、世界に唯一のオリジナルです、私が生きる限りは永久保存、死んだら焼いてくれ、と家族にお願いしています。


余談ですが、娘と息子は それぞれ私のノートを何冊か持って行ってしまっています。

「死んだら焼いて」と言ったので「焼くくらいなら自分たちにちょうだい」ということらしく、私のノートと家族の写真アルバムを、2人で仲良く分け合っているようです。

誰かが自分のノートを見る、ということは「想定外」でしたが、子どもたちに

「これ以上大きな遺産があるとは思えない」と言われて、とても嬉しかったです。





5階のうだがわです。

茅ヶ崎駅前で今日もホンキで、防災、英語絵本、地域活動しています。