睦月 春よ、春
1===
私の娘はまだ未就園児。場所柄、冬場ともなれば、ご近所一同、予定は三択となる。
一、 寒くても我慢して公園に行く
二、 買い物ついでに大型スーパーのおもちゃ売り場で遊ぶ
三、 家から出ない
年の暮れに四歳になった娘は、ご近所で『ギリ子』と呼ばれている。
「ギリギリまで遊ぶ子供」を縮めたもので、友達と遊んでくると出て行って、
マンションの管理人さんに「エントランスで立ったまま寝てました」と発見されたり、
公園からの帰り道、あれれ?と思うと信号待ちで、立ったまま鼾をかいていたり…で、
賜った渾名だ。
2===
その『ギリ子』が、寒いさなかに「公園へ行こう」と始まった。
雪でも降りそうな空模様。
当然!パパに連れて行ってもらいなさいと主人に押し付ける。
娘は、最近鉄棒が出来るようになったので公園が楽しくて仕方ない。
「パパ、まだ私の前まわり見てないでしょ」
強引に主人を連れ出した。
3===
昨年の三月に私が出産し、娘にも弟ができた。
外遊びが足りなくてストレスが溜まってるんだろうなあ、と反省するが、
弟は生後二ヶ月くらいから砂場デビューさせている。
普通ならベッドに寝ているところを、自転車にくくりつけ公園へ連れて行った。
漱石じゃないけど、どちらかをたてれば、どちらかにムリが出る。
何とも難しいヤジロベエ。
だけど一生公園へ連れて行かないわけじゃないし、
息子も一生赤ちゃんでいるわけじゃないし。
去年の今頃はどうしてたんだっけなあ、と写真を見ると、
今日のようにどんよりと重たい雲にぽつん、と白い点。
ああ、そうだった、と思い出す。
4===
その日も娘が言い張るので、公園に行ったのだった。
それも、かなり早い時間。七時とか、八時とか…。
ぶつぶつ文句を言いながら歩いていたら、頭のすぐ上を大きな影がかすめていく。
あまりに大きいので娘と私はかがみこんだ。
何事かと影の行方を追うと、一羽の鷺だった。
鷺は池に降り立つと、ついついと足で立ち、嘴を上に下に振った。
その優雅なこと!
娘も私も時間が止まったかのように見とれていた。
ばさり、音をたてて飛び立ち、ゆうらり、ゆうらり空に引き込まれていった。
この町に住んで二十年になるけど、鷺が来るなんて初めて知った。
娘がいなければ一生知らないままでいただろう。
私は娘からの贈り物のような気がしたものだ。
『春浅き水を渡るや鷺一つ (河東 碧梧桐)』
5====
帰宅した公園ペアは寒い、寒いと玄関に靴を脱ぎ捨てた。
そこかしこにざらざらと砂が流れ出す。
脱いだ靴は左右がさかさま。
いったい、この砂は何なのよ、鉄棒をするんじゃなかったの、脱いだ靴はそろえなさいっ、
私は鷺も消し飛ぶ声で怒鳴る。
「裸足で砂遊びしてんだよ…足を洗うにも寒くてさ、それよりママ、これ見てよ」
主人は娘の「前まわり」ビデオを上映し始める。
砂を払いながら娘は、お砂が冷たくて、冷たくて、明日はもういいや、と言った。
早く春にならないかな、靴をそろえて呟いた。
暦の春は、もうはじまっている。春は、すぐそこだ。
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