わかものたち、ベテランたち、わたしたち。

二極化する世界

世界はどんどん二極化する…たしか、10年くらい前からよく聞くようになりました。

経済格差、地域格差、教育格差、IT格差、年代格差‥‥

地域現場にいて「ブリッジをつくらないかぎり、歯止めがかけられない」と思ったのが、その頃(10年くらい前)。育児サロンだとか、高齢者見守りパトロールだとか、お弁当プラス活動だとか(お弁当を持ってこられない子たちのために、小さなタッパーひとつぶん、余分にわが子に持たせる)…色々やったなぁ、と思います。

けど、世界はどんどん、どんどん…裂け目が大きくなっていった気がするの。

例外になってるのが「性別」くらいなのかな、まだまだ世論は厳しいところがあるけれど、数十年前に比べて「二極化」ではなく「多極化」している唯一のカテゴリかもしれない。


地域福祉の二輪車は注意が必要。

地域の福祉は、ざっくり言えば「こども」「高齢者」が基盤になるわけだけど、高齢福祉からスタートした地方自治体は、10年後には支援者が「支援される人」になって、どんどん消失するから、コストもかかる、人もいなくなる、だからもっとお金がかかる…という負のスパイラルを生んでしまう。当然ながら育児や教育制度は立ち遅れるから、その世代はいなくなって、支援を必要とする人ばかりの町になるから「マンパワー消失政策」ともいえる…と教わったのね。

 一方で、子育て政策からスタートすると、アクティブシニア層が子育て参加することで、育児を終えたママたちが介護社会に参加するきっかけになっていくので、地域の福祉二輪車が機能する…という事例を、この20年あまり目にしてきたのねぇ。

 茅ヶ崎市は、高齢福祉ばかりに重点をおいてきたので、税金を支払う人の金額と、高齢対策に必要となる金額のバランスが崩壊してるよなぁ…と私は思っていたのだけど。


列に並べ論。

地域で、わかものと、高齢者のブリッジをつくろうと努力をしていたら

「地域でモノを言うのに、15年かかった。何か言いたいなら列に並べ」という方々がいて、

それはそれはビックリしたの。

…なんか、分かんないけど、わたしは列の外でいいや、と思っちゃったし、若者はもっとそうだろうなぁ。自分たちだけで すでに まわすパワーを、彼らはもっている。コロナであろうと、なかろうと。


おばちゃんが、すべきことは何か。

おばちゃん世代の私は「高齢者と若者をつなぐブリッジ」であろうと努力したわけだけど。若者車座を運営し始めて、いや、違うな…と気がつきました。

自分たちは、年寄のツケを払ってる、お金も、環境問題も‥‥彼らはハッキリそういいます、そして、それは事実だね。

そんなことはない、いや、そんなつもりはなかった…という言い訳ばかりで、あんまり納得いく台詞を聞いたことないな、と思うの、わたしは。


それじゃあ、わたしたち50代前後は、このジェネレーションギャップをどうすべきか?


車座の途中で、気がついたんだよね、わたしたちは「理念を語る」べきなんだと。


世界をよりよいものにしよう、ということ。

いま、生きている皆が幸せである社会をつくろう、ということ。

自分たちの愛する地球の上で、美しい星を創っていこうということ。

本気で語り、相手と分かり合おうということ。

ひとつひとつの命を大事にしようということ。

人生をかけて、それぞれの分野で働く方々に感謝しようということ。


コロナネイティブの彼らに、理念を語り

暴走しがちなご隠居たちに、未来のビジョンを語る…


ブリッジになるよりも、ぽかーんと開いた裂け目に、核をいれること…それが、おばちゃんたちのすることだな、って 思いましたよ?

ぶれずに、語り続けること…それが、わたしたちのミッションだなぁと。