そろそろおしまいになる、娘とわたしの時間。

就活のスーツを買いに行ったら、何組もの親子さんがいらしていました。

ああ、どこも同じだなと思いつつ。

親ができるのも、そろそろ、おしまい。


長女が自分の自立を考え出すようになったのですが、

2つ、はっとするようなことを言いました。



1.ママは、家にいるべきじゃなかった。

ひとつは。


ママは、子育てじゃなくて、キャリアに生きるべきだった。


衝撃。

悔いのないように全力でやったし、

子育ては向いてたなぁと思ってたのに。

なんなら、人生で一番いいことは、わが子に出会えたこと、

それから、地域の子どもたちと泣いたり、笑ったりしたこと。


ずっと、そう言ってるよね、ママは。
わたしも弟も、その周りも、みんな幸せだったし
感謝もしてるよ。

だけどね、同じくらい、ママが社会にいたら、

どれだけ世の中変わったかな、って。



仕事ができるじゃん、結局。

この人、家の中じゃなくて、世の中を変えるべき人だった、って思う。


就活している今、キャリアを積むということ、女性が生きていくこと、

それを痛感しているんだろうな、と思うんだけど。


だけどね…やっぱり、56年間生きてきて、

会社がどうなろうが、ちっぽけなことだな、と思うのよ。

わが子が誕生する、あの瞬間に比べたら。


そうして、なにかのきっかけに、地域の子供たちが

ぐん!と変化する瞬間を見た感動。

まるで、たまごから、小鳥が孵えるような。

それはもう、なにものにも、得難い。


キャリアとか、仕事って、効率化だからね。

別に「わたし」である必要もないんだよね。

リーマンショックの最中に、エネルギーの会社にいたから、

とくにそう思ってしまう。

会社なんて、なるようにしか、ならない。

そして、自分じゃなくても、誰かがやってくれる。

大企業にいたから、思うのかもしれないけど。



2.自分の命にすら、責任を持っていなかった。

自由にさせたわがやでも、たったひとつ、ルールがありました。


出かけたら、生きて帰ってこい。
命を大事にしろ。


なので、長男がやんちゃだった時は、よく叫ばせました。


うちのルールはひとつ!いのち、いのち、いのち!


ああしたい、こうしたい…と言われるたびに、逆に問いかけたものでした。

たとえばサバゲーの銃がほしい、と言ったとき。


で、それは、あなたや周りの命を大事にできるのかね?


でも、そのうち銃が必要になるかも、

友達も皆もってるよ…


言いながら、悔し涙で 「やっぱりいらない」と結論。


銃がほしい…と子どもたちが言う、そんな社会を作った大人の責任。

わたしは私で、その事実と向き合う。


全力だけど、ある意味ランボーな子育てだったな、と思っていたら、

長女が動画を見ながら言ったのでした。


最近、気が付いたんだけどね。
いっぱし、大人なつもりでも、わたしたち、
自分の命にすら、親に任せきりなんだよね。


おや、ずいぶん殊勝な…


自立って考えて、いろんな契約を自分で始めてみたら、
全部親がやってたって気がついた


動画見てても、ほら、この子なんて、ホストに入れあげて、

全部親が支払うって、繰り返してるんだよね。


なるほど。


親が支払うのは違う気がする。


そうなの?


だから繰り返すんじゃん。


でも、親は何度でも受け止めるけどね、結局は。


そこさ、突き放すべきじゃん。


かもしれないね。


わたしね、怖くなったんだよね


なにが?


一人で生きていく、ってなったら。
親が一緒じゃない、ってなったら。
何もかも、自分でできるんだろうか、ってね。


すごいな、うちの娘。

わたしが、あなたの年齢の時は、ジュリアナやゴールドで

踊り狂ってたもんね。

あと、JRのホームで潰れてたりとか。


苦い思い出をいっぱいつくった20代だったね、自分でいうのもなんだけど。


自殺とかってさ…
親が、守ってくれてるから、できるんだよね。
一人暮らし始めたら、友達も「死にたい」とか言わなくなった。


親はさ…守るために必死じゃん。

わたしたち、守られてることも分かってないもんね、子どもだよ。

誰のことも、守れてなくて、自分すら守れてないんだからさ。


生きていく…歩いていく…自分の足で。


なんとも、人生は偉大だなぁ。

うちの子が、こんなことを言い出すのであれば、

わたしの子育ては、幸せだったんだな、ってね、しみじみいたしましたよ?









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